2009年06月15日

泡盛(あわもり)とは、米を原料として

泡盛(あわもり)とは、米を原料として、黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である黒麹によって発酵させたもろみを蒸留した蒸留酒で、沖縄県の特産品である。原料の米は、日本酒と異なりインディカ米であり、主にタイ産の砕米が用いられるが、近年では地産地消の動きに伴って県内産のジャポニカ米を使ったものも生産されている。3年以上貯蔵したものは古酒と呼ばれる。

戦前には、鹿児島県奄美諸島でも製造されていたが、現在は作られていない。また本場泡盛・琉球泡盛の商標をつけることができるのは沖縄県で作られたものだけとされている。台湾等においても泡盛を作る酒造所がある。

なお、製造時の副産物であるもろみ(酒粕)は加工され「もろみ酢」として販売されている。近年の健康ブームの中で人気を得ている。

47の酒造所(平成18年6月現在)と多くの銘柄があり、地方にも各地に固有の銘柄が存在する。たいていは地域にちなんだものや、縁起の良さそうな名を持っているが、単に泡盛という名を持つものもいくつかある。

消費の割合は沖縄県内が8割で他地域が2割と推定される[1]。沖縄県内で一般に流通しているもののアルコール度数は30%であるが、県外への移出や飲みやすさを考慮して25%にしたものや減圧蒸留で製造されたものも増えつつある。一方、長期熟成用の原酒にはより度数の高いものも多数ある。保管中にアルコール分の揮発等により度数が低くなるためである。伝統的な古酒を造るための原酒として、ろ過を抑えた泡盛も販売されている。新酒では欠点となる成分が、熟成中に変化して、長所となると考えられているためである。

与那国町には、花酒と呼ばれる60%のものが「どなん」・「与那国」・「舞富名」の三銘柄あり、泡盛では最も度数が高い。皿に広げると揮発し、容易に火がつく。

泡盛の製造地域は、大きく分けて酒造組合のある6つの地域に分けられる。中心都市であり、琉球王朝の王府のあった首里地区を有する那覇市の酒造所の泡盛がよく流通している。琉球王朝時代、首里地区の首里三箇の酒造所のみ公認であったためである。現在は各地や離島の銘柄にも人気の高いものがある。本島北部の泡盛は生産量が少ないためあまり流通していないが、山原(ヤンバル)の豊富な水源を擁し水質が良いため銘酒が多いと思われる。本島中部、南部は、首里地区から移転した酒造所等もあり、比較的近代的、大規模な酒造所が多い。本島周辺の離島である久米島等でも製造されている。宮古諸島の酒は口当たりがよく飲みやすいものが多く人気が高い。宮古島は、酒豪が多い沖縄県でも、特に酒に強い人が多いとされており、オトーリという酒の飲み方は有名である。この風習のため飲みやすい泡盛が多いと考えられる。八重山諸島の酒は離島の小規模業者により生産されていることが多いため、個性的である。なお、大東諸島は明治時代に伊豆諸島からの移民が開拓した島であるため、泡盛の製造は行われていない。
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一般には熟成が3年未満の一般酒が流通する量が多く、多くの蒸留酒で寝かせてから販売されるのが普通であることと比較すると、やや特殊な例に当たる。昭和末までは、ほとんど二合瓶、三合瓶、一升瓶で出回り、特に手頃感のある三合瓶に人気があった。三合瓶と称されているが、容量は600mlである。二合瓶、三合瓶とも、一升瓶をやや寸詰まりにした形である。瓶も蓋も全銘柄共通で使われ、一升瓶と同じ柄のラベルが貼られていた。現在では、様々な形の瓶やそのまま寝かせるための甕、記念品や土産として琉球ガラスや陶器に詰められた泡盛も流通している。

2009年05月29日

反宇宙的二元論

グノーシス主義において一般的に認められるものは、「反宇宙的二元論(Anti-cosmic dualism)」と呼ばれる世界の把握の仕方、世界観である。反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。

反宇宙論
グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」などではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。これがグノーシス主義の「反宇宙」論である。
二元論
宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというのは、誤謬であるとグノーシス主義では考えた。ここでは、「善」と「悪」の対立が二元論的に把握されている。善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因であれば、実は悪の神、「偽の神」である。しかしその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずである。
悪の世界はまた「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。また物質で造られた肉体も悪である。物質に対し、「霊」あるいは「イデアー」こそは真の存在であり世界である。このように、善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質と云う「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観であり、「反宇宙論」と合わさって、このような思想を、「反宇宙的二元論」と呼ぶ。
グノーシス主義の研究史を通じて、この思想の理解については2つの根本的に異なる立場が存在している。一方はグノーシス主義をキリスト教とは別個の、オリエントに起源を持つ「東方」の宗教であるとし、その非キリスト教的側面を強調する姿勢である。もう一方はグノーシス主義をキリスト教内部の異端、あるいはギリシャ哲学に影響を受けた宗教哲学の出発点としてキリスト教史のなかに位置づけようとする姿勢である。今日では、グノーシス主義をキリスト教とは別個の宗教思想であると考える立場が主流である[4]。

グノーシス主義に関する初期のキリスト教文献、初期教会教父たちによる種々の異端反駁文書の中において、グノーシス主義はキリスト教内部の異端思想として扱われている。リヨンのエレナイオス、オリゲネス、エウセビオスなどがグノーシス主義を主要な対象として、正統信仰擁護の著作を残している。彼らの著作から、初期の聖書解釈やキリスト教神学の成立にグノーシス主義の影響が多大であること、そしておそらく彼らの時代には、グノーシス主義的なキリスト教文献は正統信仰の著作を量において上回っていたと考えられている。

ルネサンスの時代には、新プラトン主義と『ヘルメス文書』がヨーロッパで流行した[5]。今日では『ヘルメス文書』に含まれるいくつかの著作はグノーシス主義のものであったことが明らかにされている。19世紀後半から20世紀半ばには、コプト語で書かれたグノーシス文献が相次いで公刊され、研究資料はだいぶ整えられた[6]。
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資料の充実と前後して、近代的なグノーシス研究も開始された。その契機となるのはバウルの『キリスト教グノーシス、あるいはキリスト教宗教哲学の歴史的展開』である。これに続いたのがハルナックの教会史的グノーシス研究で、彼はグノーシス研究に史料批判の手法を持ち込んだ。これら初期のグノーシス研究はキリスト教の教会史からグノーシス主義を捉えるもので、その思想をキリスト教のヘレニズム化・「東方」化したものと考えていた。

それに対し、ブセットは1907年、『グノーシスの中心的諸問題』を著し、このなかで彼はグノーシス主義をキリスト教の教会史のなかにとどめずに、その外側にあるオリエント的な宗教思想として捉える見解を示した。これを継承したのがライツェンシュタインであり、彼はグノーシス主義をキリスト教以前の別個の宗教で、当時の様々な秘儀宗教に影響を与えたとした。この後のグノーシス研究で最も影響が大きかったと考えられるのがハンス・ヨナスで、彼はグノーシス主義が厳格な二元論的世界観に基づいていることを明らかにし、さらにグノーシス主義を古代末期に最も影響を持った主流思想であったと位置づけた。

1950年に『ナグ・ハマディ写本』の最初の総括的研究報告が発表されると、グノーシス主義についての理解は大きく転回した[7]。まず文書のなかにキリスト教的なものと非キリスト教的なものが混在しており、これはおそらくグノーシス主義とキリスト教が本来別個であったことを示していると考えられている。さらにキリスト教に取り入れられたグノーシス主義は初期キリスト教思想の形成に大きな役割を持っていたことも確認された。同時にグノーシス主義はユダヤ教の神話やギリシャ哲学とも密接な思想的相互交流をおこなっており、その思想をかなり取り入れていることも明らかとされた。

2009年04月26日

フランク王国

フランク王国(フランクおうこく、仏:Francs 独:Fränkisches Reich)は、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。

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ゲルマン系のフランク人サリー支族が建てた王国であることからこの名がある。現在のフランス・イタリア北部・ドイツ西部・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク及びスロベニアを領土とした。首都は508年にパリに置かれた。カール大帝時代はアーヘンに王宮が置かれて事実上の首都となった。

フランク王国の成立は、古代末期、旧ローマ帝国領にゲルマン系諸族が大量の移住を行ったことに起因する。特にフランク族のサリー支族はローマ帝国の同盟軍として、シカンブリ人など他のゲルマン系部族やローマ系住民を吸収して共同の軍役の中で集団形成を行い、ローマ的要素とゲルマン的要素を併せ持つ文化を発展させた。幾つかの幸運が重なり、フランク族は3世紀の間、中部ヨーロッパで勢力を保ち続け、次第に現在のドイツとフランスに勢力を伸ばした。ローマ帝国の没落につれて、フランク王国は西ヨーロッパで最大の国力をもつこととなった。フランク王国の系譜は、シカンブリ人系のサリー・フランク人クロヴィス1世がフランク人を統一して王国を開いたメロヴィング朝と、それを継承したカロリング朝に分けられる。

2009年04月09日

幻覚剤としての発見

LSDは1938年11月にスイスのバーゼルにあるA・Gサンド社(現・ノバルティス)の研究室でスイス人化学者アルバート・ホフマン(Albert Hofmann, 1906年1月11日 - 2008年4月29日)によって合成された。その幻覚剤としての発見は1943年4月16日になされ、これがLSD発見の日とされている。

当時、サンド社は薬用植物の有効成分を分離、もしくは植物から僅かしか得られない有効成分を化学合成する研究計画を始めていた。ホフマンは麦角アルカロイドについて研究班をつくらず単独で研究し始めた[17]。ホフマンはまずリゼルグ酸とプロパノールアミンを結合させることによってエルゴバシンの合成に成功した[18]。そのことによりさらにエルゴバシンの薬理特性は改良され、子宮収縮、子宮止血剤として「メテルギン」の商標で発売された。

ホフマンはさらにリゼルグ酸化合物の研究を進め、1938年11月、リゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質、LSD-25を合成した。ホフマンはこの化合物を循環器及び呼吸促進の作用が得られると予測したが、エルゴバシンの70%の子宮収縮作用を示しただけで、動物実験では動物達が「落ち着かなくなる」程度の効果しか認められずその研究は中止された[19](ただし、虫よりもイヌやネコ、イヌやネコよりもサルというように高等な動物であるほど効果は大きかった[20])。

しかし、ホフマンは「奇妙な予感めいたもの」により、1943年に再びこの物質を取り扱うことにした。そして4月16日、LSDを結晶化している際に非結晶性のごく微量のLSD溶液が指先につき、LSDが指先の皮膚を通して吸収されることによって、ホフマン自身によりLSDの効果が確認された。ホフマンは眩暈を感じ、実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまった。そして実験を中断して帰宅した後も軽い眩暈に襲われていた。帰宅するなり横になっていたが、極めて刺激的な幻想に彩られていた。日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。これがLSDの幻覚作用発見の瞬間であった。

そしてホフマン博士は4月19日、再び(1度目は意図したものではなかったが)LSDを0.25mg服用して自己実験を行った。

ホフマンは以前と同質かあるいはさらに変化に富んだ奥深いものを体験することができた。しかし、感覚の変化が深まるにつれて供述することが困難となり、自己実験の供述を記録していた女性助手に家に送ってくれるよう頼まざるを得なかった。自転車で送ってもらっている途中も、視野にある全ての像は揺れ動き、歪曲化され、自転車が一向に進んでいるように感じられなかった[22](後にこの日は「LSD自転車旅行の日(Bicycle Day)」と呼ばれ、ホフマンは創始者としても有名になった[23])。

家に着いても症状は一向に治まらなかったため、助手に医者を呼んでもらっていたが、その間に隣に住んでいる婦人が牛乳を差し入れてくれた。空間が全て回転し、部屋の中のものや家具がグロテスクに変化し、まるで命を持っているかのように絶えず揺れ動き、隣の婦人も色の黒い醜い顔をした意地の悪そうな魔女に見えた。医者はホフマンがとてもしゃべられる状態ではなかったため、研究助手から実験のあらましを聞いていたが、瞳孔以外には異常は認められず、ホフマンをベッドまで運ぶとそばで観察しているだけだった。

やがてその感覚が消えると、ホフマンは感謝と幸福な気分が満ちてくるのを感じた。そして万華鏡のように幻想的な現象が起こり始めるのを見た。視界は環状と螺旋状が開いてはと閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。ホフマンはそのまま疲れ果てて眠ってしまった[22]。

翌朝、目が覚めたときはまだ疲労が残っていたが、快適な気分と新鮮な生命力がホフマンを満たしていた。朝食はとりわけ美味しく、朝食後の散歩ではあらゆるものがきらきらと光り輝き、世界は再び創造されたかのようであった。LSDはバラエティに富みしかも刺激的な酩酊を生み出しながら、後に残ることなく、実験の後でホフマンが感じたのは肉体的、精神的爽快であった[22]。

この後、ホフマンの報告書の提出を受け、薬理学部門の責任者と彼の2人の共同研究者によっても実験が行われ、効果が確かめられた

バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

2009年03月25日

キャラクターデザインはアニメーター

キャラクターデザインはアニメーターみんなが出し合ったデザイン案を高畑監督が方向性を考えながらまとめて、最後に担当者を決めて仕上げられた。どのキャラクターにも複数の人間のデザインが取り入れられ、高畑監督自身の考えも反映されている。そのためこのキャラクター一人一人について作った人物を特定する事は難しい。この項の「キャラクターデザイン」ではデザインの仕上げをした担当者の名前を記す。

ホルス (声:大方斐紗子、キャラクターデザイン:大塚康生)
14歳。大自然の仲で伸び伸びと育った。真っ直ぐな性格であまり他人を疑ったりしない。常に村人に先んじて行動に出、問題を一人で解決しようとする傾向がある。。父親の遺言により仲間となるべき人間を捜して住み慣れた家を離れる。ちなみにエジプト神話の神であるホルスとは無関係。
ヒルダ (声:市原悦子、キャラクターデザイン:森康二)
15歳。孤独な少女。悪魔グルンワルドの妹。グルンワルドに滅ぼされた村の生き残り。グルンワルドに授けられた「命の珠」により永遠の命を持つ。歌によって人の心を魅了するが、自分自身の心の歌は歌えない。グルンワルドの手先として行動し人々に不和を芽生えさせる。人間の心と悪魔の心の間で常に葛藤している。
グルンワルド (声:平幹二朗、キャラクターデザイン:宮崎駿・奥山玲子・林静一)
雪や氷を操り氷の城に住む悪魔。人を疑心暗鬼にさせ、数々の村を滅ぼした。銀色狼、大鷲、大カマス、そしてヒルダを使い人間に災いをもたらす。気に入った人間をスカウトし自分の弟妹として利用する。ヒルダに「命の珠」を与える。
ホルスの父 (声:横森久、キャラクターデザイン:宮崎駿)
55歳。悪魔に滅ぼされた村の生き残り。ホルスのために村を捨てて船で逃げた。船を改造した小屋でたったひとりでホルスを育てる。ホルスに集団生活を教えなかった事を後悔している。死の間際、ホルスに自分の斧を渡し「仲間の所へ行け」と遺言を残す。
岩男モーグ (声:横内正、キャラクターデザイン:宮崎駿)
岩でできた巨人。人間で言う髪にあたる部分には木が茂っている。大地に埋まって昼寝していた。肩に刺さっていた太陽の剣をホルスに与える。「『太陽の剣』を鍛え直し、使いこなせた者こそ『太陽の王子』と呼ばれるようになる」と予言する。グルンワルドとの戦いでは人間に味方し、氷のマンモスを倒した。氷の城の壁に穴を開け、城に太陽の光を注ぎ込んだ。
ポトム(声:堀絢子、キャラクターデザイン:小田部羊一)
15歳。村長の息子。正義感が強くホルスの一番の理解者。村のおとなたちに不満を感じている。
ガンコ爺さん (声:東野英治郎、キャラクターデザイン:宮崎駿)
60歳。村の鍛冶屋。村に流れ着いたホルスを保護する。グルンワルドとの戦いでは槍などの武器を用意する。
ボルド(声:横内正)
25歳。村の青年リーダー。実直な人柄。ヒルダの歌に惑わされなかった。しばしば村人の先頭に立って行動する。
村長 (声:三島雅夫)
45歳。自己中心的で臆病。自分の保身ばかりを気にする。
ドラーゴ (声:永田靖、キャラクターデザイン:小田部羊一)
50歳。村のNo.2。常に奸計をめぐらす。ヒルダを利用して村長の座を狙おうとする。ホルスを陥れて村から追放した。
ルサン (声:津坂匡章、キャラクターデザイン:小田部羊一)
25歳。村の青年。大カマスとの戦いで腕を負傷する。ピリアと婚礼を上げる。
ピリア (声:赤沢亜沙子、キャラクターデザイン:奥山玲子)
20歳。村の若い女性。ルサンと婚礼を上げる。
チャハル (声:杉山徳子、キャラクターデザイン:奥山玲子)
30歳。フレップの母親。夫のモラスは村のために大カマスと戦い死んだ。ガンコ爺さんに食事を運んだり、ピリアの婚礼衣装を縫ったりと村のお母さん役を務める。
フレップ (声:堀絢子、キャラクターデザイン:大塚康生)
5歳。村の少年。チャハルとモラスの息子。流れ着いたホルスを最初に発見する。大カマスに殺された父親の敵を討とうとする芯の強さも持っている。
マウニ (声:水垣洋子、キャラクターデザイン:奥山玲子)
3歳。村の少女。ルサンとピリアの婚礼の唄を歌う。ヒルダになついている。
コロ(声:浅井ゆかり、キャラクターデザイン:大塚康生)
ホルスといっしょに育った小熊。食いしん坊。村に着いてからはフレップといっしょにいる。
チロ(声:小原乃梨子、キャラクターデザイン:小田部羊一)
常にヒルダと共にいる子リス。悪魔グルンワルドの手下でありながら心優しい。ヒルダの良心の象徴。
トト(声:横森久、キャラクターデザイン:小田部羊一)
常にヒルダと共にいる白フクロウ。悪魔グルンワルドの手下。グルンワルドに忠実で、ヒルダをグルンワルドからの命令を守らせるために監視している。ヒルダの悪魔の心の象徴。
大カマス(キャラクターデザイン:大塚康生)
グルンワルドの手下。村の川下の滝つぼに棲む。魚の遡上を阻害し村に飢えをもたらした。
氷マンモス(キャラクターデザイン:宮崎駿)
魔力で作り出された巨大な氷のマンモス。グルンワルドを頭に乗せて運び、村を踏みつぶす。
大鷲(キャラクターデザイン:大塚康生)
グルンワルドの手下。人を惑わし砂地獄に誘い込む。ホルスをグルンワルドの元へ運んだ。
銀色狼(キャラクターデザイン:大塚康生)
グルンワルドの手下。群狼を率いて人を襲う。人間を監視してグルンワルドに報告する。
雪狼(キャラクターデザイン:大塚康生)
魔力によって作り出された雪の狼。空を飛び村や平原を雪で埋める。

キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

2009年03月10日

パルテノン神殿

パルテノン神殿(Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設されたアテナ神を祭る神殿。現在残る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿。通例、処女神殿と訳されるが、古代ギリシア語では、パルテノスは一般的に若い娘を意味する。古典時代のギリシア建築の傑作のひとつ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
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古代ギリシア時代
アテネのアクロポリス神域の開闢は非常に古く、新石器時時代に遡る壁面、ミケーネ時代の城壁跡が発見されている。紀元前480年のクセルクセス1世による遠征で、それまでの神殿が略奪・破壊に遭ったため、執政官キモンは、それまであった神殿をそのまま再建することを指示し、カリクラテスが建設を委任された。彼らは、今日に至るまで残っている神域の南側の地盤を拡張し、正面幅23.4m、長さ66.3mの古パルテノンと同じ平面を持つ神殿を建設しようとした。

キモンが追放され、カリクラテスが解任されると、紀元前447年、再建はペイディアスとイクティノスに委任され、前者が彫刻を、後者が設計を担当した。既に建築途中の神殿を任された彼等は、旧パルテノンと同寸に加工された石材を用いることを余儀なくされたが、カリクラテスの設計した神殿の内陣ではフェイディアスによる神像を納めることができなかった。しかし、イクティノスは導き出される比例を綿密に計算し、正面の柱を6本から8本に、側面を16本から17本に拡張させることによって、現在の平面の設計を完成させた。

創建当時は、中央にフェイディアスが彫った巨大なアテナの黄金象牙像が安置され、様々な大理石の彫刻が破風や壁々を飾って絢爛を極めた。紀元前432年頃に建築されたが、建設の資金は、デロス同盟の資金が流用された。アクロポリス神域はその後も神殿が建設され、紀元前421年にはエレクテイオンの起工が行われ、紀元前420年にはペリクレスによって、アテネ・ニケ殿が建設された。

現在の地盤は正面幅30.9m、長さ69.5mで、柱の直径は1.9m、柱の高さは10.4mに及ぶ。

ローマ時代以降
アテナイがローマ帝国に支配されるようになっても基本的には変わらなかったが、ローマ帝国でキリスト教が公認。次いで国教となると、パルテノン神殿は生神女マリヤ(聖母マリア)に捧げられた大聖堂に改装され、正教会の教会として用いられた。1018年にはブルガリアを征服した東ローマ帝国の皇帝バシレイオス2世(在位:976年-1025年)が、ここで戦勝記念の聖体礼儀を行なったという記録が残っている。この頃は、まだ古代の壮麗な姿をほぼ残したままであったと思われる。

しかし、15世紀に東ローマ帝国を滅ぼしたイスラム教のオスマン帝国支配下では弾薬庫に転用され、そのためにヴェネツィア軍の砲撃を受けて大破してしまった。その後1800年代になって、大英博物館に彫刻の大部分が運ばれてしまった(エルギン・マーブル)。現在では返還運動が行われている。

建築様式
パルテノン神殿は、外部を囲む柱はドリス式オーダーだが、西側の後陣内部ではイオニア式オーダーの様式を取り入れている。それまでの方式では、一つの建築に様式を混在させることはなかった。神像の安置された内陣は、コの字型に上下2段のドリス式オーダーが配置され、アテナ神の格調高さを補強したが、これは今日では殆ど残っていない。

アクロポリス神域に残る神殿のうち、アテナ・ニケ神殿、エレクテイオンはイオニア式で、特にエレクテイオンは、イオニア式を用いた神殿の至宝といわれる。これらの神殿は、アクロポリス神域において、ドリス式のパルテノン神殿をより一層引き立てている。

世界遺産
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。

2009年02月22日

ベニクラゲ(Turritopsis nutricula)

ベニクラゲ(Turritopsis nutricula)はヒドロ虫綱に属する、いわゆるクラゲの一種である。性的に成熟した(有性生殖が可能な)個体がポリプ期へ退行可能という特徴的な生活環を持つことで知られる。世界中の温帯から熱帯にかけての海域に分布する。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

クラゲが再びポリプに戻ることが発見され、「不老不死」のクラゲとして知られるようになった。
ベニクラゲは直径 4-5mm の小さなクラゲである。透けて見える消化器が赤色であるためこう名付けられた。ベニクラゲの形状はベル型で、傘の直径と高さはほぼ等しい。外傘や中膠は均一で薄い。胃は明るい赤色で大きく、横断面は十字型である。若い個体は外縁に沿ってわずかに8本の触手を持つが、成熟したものは 80-90 本の触手を備える。触手の内側に眼点があり、これも鮮やかな赤である。

受精卵は胃および外傘の中で発生し、プラヌラ幼生となる。幼生は基物に着生して群体性のポリプを形成する。ポリプは基質上にヒドロ根を広げ、まばらにヒドロ茎を立てる。その先端にはヒドロ花がつく。ヒドロ花は円筒形で、その側面にまばらに触手が出る。

ポリプ形成後2日ほどで幼クラゲとして個体が離脱する。幼クラゲは数週間で成熟する。成熟に要する期間は水温に依存し、20℃ では 25-30 日、22℃ では 18-22 日ほどである。

普通のクラゲは有性生殖の後に死ぬが、前述の通りベニクラゲは再びポリプへと戻ることができる。成熟個体は触手の収縮や外傘の反転、サイズの縮小などを経て再び基物に付着、ポリプとなる。生活環を逆回転させるこの能力は動物界では稀であり、これによりベニクラゲは個体としての死を免れている。

有性生殖能を獲得するまでに発生が進んだ個体が未成熟の状態に戻る例は、後生動物としては本種と軟クラゲ目のヤワラクラゲ(Laodicea undulata)でのみ報告されている[1]。動物におけるこのような細胞の再分化は分化転換(transdifferentiation)と呼ばれる。論理的にはこの過程に制限はなく、これらのクラゲは通常の発生と分化転換を繰り返すことで個体が無限の寿命を持ち得ると予想されている。従って「不老不死(のクラゲ)」と称される場合もある。ただし実際には若返りである。

この現象は地中海産のベニクラゲで発見され、1991年に学会発表されてセンセーションを起こした。その後各地で追試されたが、地中海産のものでしかこの現象は見られなかった。しかし、鹿児島湾で採集された個体も同様の能力を持つことが2001年にかごしま水族館で確認された[2]。

このことはマスコミにも取り上げられた他、テレビドラマ『14ヶ月〜妻が子供に還っていく〜』(日本テレビ系列)でも、作中においてこのクラゲの研究から作られたという設定の若返り薬が登場。解説役として実際の研究者も出演している。

2009年02月05日

テリー・ボガード(Terry Bogard)

『餓狼 MARK OF THE WOLVES』(以下『MOW』と表記)でロック・ハワードに交代するまで餓狼シリーズの主人公を務め、シリーズ全ての作品に登場している。
メイン フェムト ブレンダー オーダ ジャッキ プロデ ハンド ヨーグルト ひょう リゾット しゅうばつ メーター ダンク デマンド サイトゲ バオアン アコウ カーレ アオイル カーネル モルヒ スター メトロ アシカ センチュリー カルーセル サラダ キャメ バック レイヤー 笑い話 風の子 リットル オジギソ りゅうら 宝石箱 ダンス ウンディー リベット アウテ ビー ジャケブル イバナ バタフラ いもがゆ トラックク レース バズーカ コリドー ブレーク

カプコンとのクロスオーバータイトルでは、ケンと対比されているようである(アメリカ人、長い金髪、そしてその格闘スタイルがベニー・ユキーデに影響されていると思われる点など。格闘スタイルについては後述)。ただし、その第1作である『SNK VS. CAPCOM 激突カードファイターズ』ではリュウと対比されている(タイトル画面やカード「クロスオーバー」など)。また、海外版『CAPCOM VS. SNK』のジャケットでもリュウと対比されている。

『餓狼伝説』時代
サウスタウンを牛耳るボス、ギース・ハワードによって養父であるジェフ・ボガードを暗殺され、その復讐のために闘う男。しかしながら、普段はそうした後ろ暗い背景を感じさせない明朗な性格である。平素は武者修行がてら世界中を旅しているフリーターである。

「Fatal Fury」(帽子の文字は「NEO-GEO」と書かれているものや「KINGOFFIGHTERS」と書かれているもの、何も書いてないものと種類がある)[1]と書かれたプレートつきの赤いキャップがトレードマークで、それを投げつつ「OK!!」と叫ぶ勝利ポーズが有名。通常はプレイヤーに背を向けるが、初代『餓狼伝説』および(一部の)『KOF』の作品ではプレイヤー側を向いて投げる。『KOF』では、『'97』のエンディングでブルー・マリーに自分のキャップを渡しているが、その後も『2002』までは全く同じものを被り続けていた。[2]。『餓狼伝説3』(以下『餓狼3』と表記)『リアルバウト餓狼伝説』(以下『RB』と表記)においてはプレートに「King of the Fighters」のロゴが入ったキャップをかぶっている。

『RB』でギースとの決着を付けることになるが、勝負後に、テリーの攻撃を受けてギースタワーの屋上から転落しそうになったギースに思わず手を差し伸べたものの、それを振り払われ、直後にギースは高笑いしながら転落していった。そのため、心に一抹の空しさと後悔を残した。以後、それと前後して出会った少年・ロックを養育していった。

『MOW』での大切なものにも挙がっている「ウッキー」は肩に乗るくらいのサイズの子猿。『餓狼3』のテリーステージや『KOF'99』(以下『'99』と表記)などの勝利ポーズで登場し、『リアルバウト餓狼伝説スペシャル』(以下『RBS』と表記)のエンディングで「パワーゲイザー」を打ち、そこから登場する場面もあった。プロフィールでも記載されているとおり、『MOW』では家出中である(理由は不明)。

『餓狼 MARK OF THE WOLVES』時代
『餓狼伝説』時代から服装が様変わりし、キャップは被らなくなった(「OK!!」の決め台詞は健在)。

テリーがどのように生活しているのか不明であったが、ホームレスであることが明らかにされている[3]。一方でテレビや映画に出演、各種ボランティアに講演活動など、さまざまな活動をしている[4]ため、経済的事情ではなくライフスタイルとしてホームレスを選択しているようだ[5]。また、『KOF MAXIMUM IMPACT 2』ではロックと共にアパートの一室で暮らしていること(それが語られるストーリーでのテリーは『MOW』バージョンではないが)や、ロックの手料理が好物である(ロックが手料理を作る環境がある)ことから、常にホームレスというわけではないようである。

かつては各種必殺技を繰り出す際に技名を叫んでいたが、『MOW』では30代半ばという年齢のためか技名を叫ばなくなった。それに準じ、『KOF』でも『2002』から『MOW』と同様の技ボイスに変わった。

ロックの手料理の食べすぎで少々太り気味になってしまったことを気にしている様子。また、『KOF MAXIMUM IMPACT 2』では、ロックに対してまともな勉学をさせていないことを多少気にしていた(当のロック本人は全く気にしていない)。

『MOW』でのケビン・ライアンでのCPU戦で登場する際には、彼に親友殺しの犯人(=フリーマン)と勘違いされるというハプニングに遭った[6]。

また、B.ジェニーの初恋の相手でもあることが判明している。

格闘スタイルについて
初期の格闘スタイルは「マーシャルアーツと喧嘩殺法」とされているが、SNKは海外進出当初から「マーシャルアーツ」が格闘スタイルとして受け入れられない[7]こともあり、「喧嘩殺法」を英訳した「Street Fighting」を英語版でのテリーの格闘スタイルとして紹介している。

その後、TVアニメ『バトルファイターズ 餓狼伝説』の「タン・フー・ルーより八極聖拳を継承した」という設定が、原作のゲームにも反映されるようになったが、プロフィールにだけは反映されずそのままである。

また実際のゲーム画面で見る限り、通常技などのテリーの技は、いわゆる他作品の”マーシャルアーツ使い”同様に、ベニー・ユキーデに代表される全米プロ空手を参考にしていると思われる。

なお、『CAPCOM VS. SNK』においてはマーシャルアーツを操るガイルに自分の技はどうだったかと質問している。

『餓狼』シリーズ以外での設定
『KOF』シリーズでも毎回チームを組んで出場。チームメイトは主に弟アンディと親友ジョーの二人だったが、『MOW』に準じた仕様で登場するようになった『2003』以降チームメイトは固定されていない。最新作の『XII』では"原点回帰"のコンセプトに基づき、衣装が『MOW』以前のものに戻っている。KOFと名の付くゲームには本シリーズ・番外編に関わらず全て登場し、草薙京やリョウ・サカザキと並んで数少ない皆勤賞であり、『餓狼』シリーズを含めるとテリーの出演ゲーム数はSNK最多である。

『KOF MAXIMUM IMPACT』では1Pモデルがキャップ着用の衣装、2Pモデルが『MOW』の衣装となっており、さらにそれぞれ技のボイスが別々に用意されるという演出がなされた。また、続編の『MAXIMUM IMPACT 2』以降では『MOW』準拠のバージョンがワイルドウルフという個別のキャラクターとして独立することになった。なお、「ワイルドウルフ」は『CAPCOM VS. SNK』シリーズでの彼のキャッチコピーでもある。

風雲シリーズ(『風雲黙示録』及び『風雲スーパータッグバトル』)には"伝説の狼"から貰ったというキャップを被ったキャラクター、中白虎(チュン・パイフー)が登場している。ただしキャップの色は青で、この"伝説の狼"がテリーかどうかも明言されてはいない(UFOキャッチャーで取る景品のキャップを人にあげるという設定がある)。

なお、趣味がビデオゲームという設定がパロディ編(98、2000)の小説版では強調されている。98では対戦相手を待つ間ゲームセンターで遊んでおり、「もっと頑丈なレバーでないと駄目だ」とマニアックなことを言っている。2000でも到着の遅いジョー・東を待つ間ゲーセンで遊んでおり、さらに三鷹市水道部のナコルルのポスターが欲しいと弟(アンディ)に力説している。

恋愛シミュレーションゲーム『Days of Memories?彼と私の熱い夏?』では江坂の雷門学園(高等学校)に赴任してきた体育教師という設定(年齢は35歳)で登場、バスケ部のコーチにもなる。赴任早々、頼りがいのある教師として、生徒たちや部員から慕われる。ロックとふたりで寮暮らしをしており、保護者代わりでもある。町の道場師範であるリョウ・サカザキとも古くからの付き合いらしく、自分宛の郵便物を極限流道場に受け取りに行くなどのやりとりもある。また、アニメ『バトルファイターズ 餓狼伝説』や、その劇場版である『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』と関連があることを匂わせる会話が、極限流道場にて交わされたり、テリーの大切な物にも記載があるペットの猿・ウッキーも登場する。なお、『Days of Memories』自体はパラレルワールドである。

ゲーム上の特徴
テリーは己の肉体を駆使して相手と戦う。飛び道具を持っており、遠距離で出して相手を牽制することもできる。足が長い分、作品全体を通して蹴り技のリーチが高く、『餓狼伝説2』(以下『餓狼2』と表記)、『餓狼伝説スペシャル』(以下『餓狼SP』と表記)では、遠距離立ち強キックやしゃがみ強キックの使用頻度が高い。『餓狼SP』では、遠距離から「パワーウェーブ」を出して対空技で落としたり、通常技を弱の「バーンナックル」や「クラックシュート」でキャンセルして相手を固める戦法が得意で、相手を画面端に追い詰めたときの爆発力は凄まじい。「パワーウェーブ」はギースの「烈風拳」同様に地を這う飛び道具であるため、避け攻撃で抜けることができない点も長所となる。『餓狼2』にて追加された超必殺技「パワーゲイザー」は、目の前に拳を叩きつけて巨大な衝撃波を噴出させる技で、テリーを象徴する存在となった。

『餓狼3』では、「ライジングタックル」が削除された代わりに新技の「パワーダンク」が追加され、突進技の性能が強化されて機動力がさらに上がり、「パワーゲイザー」の演出も派手になった。潜在能力は、接近戦での連続攻撃から「パワーゲイザー」を3連発して相手を打ち上げていくもので、コマンドが難しく、実践で決めるのは困難な技だが、プレイヤーには決まったときの爽快感をもたらす。さらに、しゃがみ強パンチをキャンセルしての「クラックシュート」が永久に入り続けるという現象があった。『RB』ではこの現象が削除され、「ライジングタックル」が復活し、多段ヒットするようになった。連続技がさまざまな局面から入るようになり、威力が上がった。『RBS』では「パワーゲイザー」の演出がさらに派手になっただけでなく、攻撃判定もより大きくなった。

『KOF』シリーズでは、『'94』『'95』ともに『餓狼SP』までの性能を受け継いでいる形の技が多い(「ライジングタックル」の無敵時間は短縮されている)。テリーの攻撃力は、作品を通して高い部類に入るため、1回の連続技で大きなダメージを与えることが可能。ジャンプ強攻撃から、2ヒットする近距離立ち強パンチからの弱「バーンナックル」へつなげたときの気絶値の蓄積は凄まじい。『KOF'96』(以下『'96』と表記)では、八神庵やヴォルフガング・クラウザーを除いたほとんどのキャラクターの飛び道具が飛ばなくなったが、「パワーウェーブ」が攻撃判定が強い打撃攻撃のような性質の技に変更されたことで、従来とは異なる使い方ができるようになった。『KOF'97』(以下『'97』と表記)では、体当たり攻撃の「パワーチャージ」が追加され、これを組み込んだ空中連続技が強力で、相手を一気に気絶に追い込むほどの威力であり、猛威を振るった。

『KOF'98』(以下『'98』と表記)の裏性能テリーおよび、『'99』以降は、「パワーウェーブ」が再び画面端まで飛んでいくようになったほか、作品が進むにつれて技の追加と削除が交互に行われた。

『MOW』では、衣装だけでなく、技が全体的に大きく変更され、動作が重くなり、使う技を選んで堅実に立ち回る必要がある(これはテリーに限らず、各キャラクターともに技後の隙が大きいものが多く、ガードされると反撃を受ける事例が数多い)。ブレーキングを利用したラッシュや、強パワーチャージの1段目を利用した連携は強力である。

技の解説

特殊技
ライジングアッパー
その場でアッパーカットを繰り出す。『餓狼』シリーズと『KOF'94』(以下『'94』と表記)では(上段)避け攻撃で、『KOF'95』(以下『'95』と表記)ではカウンター攻撃、『'97』以降は単体の特殊技となった。『'97』以降は、弱攻撃から繋がるほど発生が早く、ここからさらに別の必殺技に繋げるのが常套手段。
バックスピンキック
初出は『餓狼3』。前に踏み込みながらの横回し蹴りで、食らった相手を奥ラインに蹴り飛ばす。
特殊技としての初出は『餓狼3』だが、『餓狼SP』まではライン飛ばし攻撃、『KOF』では『'95』までふっとばし攻撃として使用している。
チャージキック
初出は『RB』。ダッシュから出せる中段蹴り上げ。
バックナックル
初出は『'95』。前方に踏み込み、半回転しながら裏拳を繰り出す。
ハンマーパンチ
初出は『'99』。踏み込みつつダウンブローを放つ。

コンビネーションアーツ
『餓狼3』でのテリーのコンビネーションアーツの数は、全キャラクター中最多の7である。空振りでも出すことが可能な技が3つあり、「“J”(ジャンプ)バックナックル」「サンダースライサー」「ライトニングキック」である。1番目は、最後の飛び裏拳がしゃがみガード不可(しゃがんでいる相手には空振りしやすい)で、2番目は、最後に出すしゃがみ強キックが見た目に反して立ちガード可能。「テリースペシャル」という名の付いたコンビネーションアーツが2つあり、技名の最後にそれぞれ「1」「2」と付いている。なお、相手によっては最後までヒットしないコンビネーションアーツもある。テリーに限らないが、コンビネーションアーツは技の展開が速いため、決めるには正確なコマンド入力が要求される。

投げ技
バスタースルー
相手を地面に叩きつける背負い投げ。
グラスピングアッパー
初出は『'96』。相手を掴み、「ライジングアッパー」の動作で殴り飛ばす。

必殺技
パワーウェイブ
地面を殴って気を走らせる飛び道具。義父であるジェフもこの技を持つ(SNK公式のコミック版『餓狼伝説2』より)。『KOF』シリーズの一部作(『'96』?『'98』、『'98』の裏性能版除く)では、飛ばなくなった(ヒット効果は、出がかりで当てた場合のみダウンを奪える)。『仮面ライダーストロンガー』の「エレクトロファイヤー」が元ネタ。
ラウンドウェイブ
初出は『RB』。「パワーウェイブ」同様地面を殴り、目の前に気の塊を出す。「パワーウェイブ」よりも発生が遅く、飛ばない代わりに別ラインにも攻撃判定があったり、『KOF』シリーズなどではさらにキャンセルが可能。『KOF'98 ULTIMATE MATCH』ではモーションが「パワーウェイブ」と異なるもの(後述する「トリプルゲイザー」の2段目と同じ)になっている。
バーンナックル
気を纏った拳を突き出しつつ突進する、テリーの代名詞的な必殺技。『餓狼2』からは突進前に「バンザイ」のようなポーズを取るようになった。『WILD AMBITION』では弱強共に、『MOW』時代では弱でのみポーズを取らない。
これもジェフが使用していた技であるらしく、またゲーメストの漫画版『龍虎の拳2』(天獅子悦也著)に登場したジェフはこれの原型と見える「閃光拳」なる技を使用している。
クラックシュート
孤を描くように飛び込んで踵を落とす浴びせ蹴り。作品によって大きく特徴が異なる。連続技に組み込めるか否か、ヒット時にダウンするか否か、ガードされた時反撃されるか否か、中段攻撃か否か、など。
ライジングタックル
上下逆さになって錐揉み上昇する対空技。『餓狼伝説 WILD AMBITION』(以下『WA』と表記)では最初に足払い蹴りから繰り出す。タメコマンドの技だが、『KOF』シリーズでは『'96』から『'98』まで(『'98』の裏性能版除き)タメが必要ないコマンドに変更されていた。『餓狼3』と『MOW』時代では使用されない。
パワーダンク
初出は『餓狼3』。膝蹴り(『MOW』や『CAPCOM VS. SNK』ではショルダータックル)で飛び上がり、落ちながら気を纏ったパンチを打ち下ろす。『MOW』ではブレーキング対応技。『'99』では後述の「パワーチャージ」からの専用の追撃技になっている。
パッシングスウェー
初出は『RB』。踏み出してのフックから、ライン移動しつつの後ろ回し蹴り。別ラインのない作品では使用されない。
パワーチャージ
初出は『RBS』。浮かせ技のショルダータックルで、他の必殺技でキャンセルが可能(『'97』?『'98』や『MI2』『MIA』では一部の必殺技でのみ)。『MOW』版では肘打ち・フック・ショルダータックルの連続入力技で、『KOF2003』『KOFXI』『NBC』でもこのタイプになっている。
ファイヤーキック
初出は『RB2』。スライディングキックから蹴り上げる。これも浮かせ技。『MI2』『MIA』で採用された。
クイックバーン
『リアルバウト餓狼伝説スペシャル DOMINATED MIND』(以下『RBDM』と表記)での隠し技。気を纏ったアッパーからダウンブローにつなぐ。『KOF2002 UNLIMITED MATCH』にて採用されている。
パワードライブ
初出は『'99』。「パッシングスウェー」と同じフックからストレートに繋ぐ。『MI2』『MIA』で採用された。
パワーシュート
これも初出は『'99』。「パッシングスウェー」と同じフックから蹴り上げる。元々「パッシングスウェー」を追加する予定があったが途中で断念したために、これらの技ができたと言われている。『MI2』『MIA』で採用された。
チャージラン
チャージキック
前述の特殊技の「チャージキック」が、『NBC』で専用のダッシュ動作「チャージラン」から追加入力で出す形の必殺技となったもの。

T.O.P.アタック
マックスダンク
「パワーチャージ」と同じショルダータックルから「パワーダンク」に繋ぐ。『MIA』ではワイルドウルフがパワーダンクの強版として使用する。

ストライカー動作(『KOF'99』?『2001』)
ダンクゲイザー
「パワーチャージ」で突進し「パワーゲイザー」を放つ技。「パワーチャージ」がヒットすると「ハイアングルゲイザー」(後述、ただし『RBDM』版の方に近い)と同じ動作になる。

超必殺技 / 潜在能力
パワーゲイザー
初出は『餓狼2』。地面を殴り、「気」の柱を立てる。
技名の「ゲイザー(Geyser)」は英語で間欠泉の意味だが、正しい発音ではない(「ガイザー」が正解)。しかし以後様々なメディアで「ゲイザー」を間欠泉の意味で使用しているケースが見られるようになった。
「気」の柱の形状は『RB』までは垂直に立ち昇るものだったが、『KOF』や『RBS』以降などではやや前方斜めに吹き出るようになった。『MIA』ではテリー(ワイルドウルフでない方)のみ『RB』までと同様のものに変更されている。
トリプルゲイザー
初出は『RB』。「パワーゲイザー」を三連発する。『餓狼3』の潜在能力は、パンチ2発からこれに繋ぐコンビネーションタイプの技(技名は超必殺技の方と同じ「パワーゲイザー」)。『KOF』のMAX版や『MOW』での潜在能力版の「パワーゲイザー」も、実際はこちらとなる。
『SNK VS. CAPCOM SVC CHAOS』(以下『SVC CAHOS』と表記)や『NBC』では「パワーゲイザー」から追加入力で出す技となっており、その場合二発目の「ツインゲイザー」を経由する。
ハイアングルゲイザー
初出は『'97』。ショルダータックル・ジャンピングアッパーで相手を打ち上げて着地し、とどめに「パワーゲイザー」を決める。MAX版は最後の「パワーゲイザー」が複数連なったものになる。『'97』では画面端に相手を追い詰めた状態でこの技を決めると「パワーゲイザー」が空振りするが、『'98』以降はこのようなことは無くなった(ただしMAX版はそれでも全段ヒットしない)。
『RBDM』で隠し技として逆輸入されているが、「パワーチャージ」→「パワーダンク」の飛び膝→「トリプルゲイザー」という構成になっている。
ヒートアップゲイザー
『WA』のオーバードライブパワー。ボディブローを繰り出し、決まるとアッパーで浮かせて「パワーゲイザー」で追撃する。
バスターウルフ
初出は『MOW』。前方へ突進しつつ、「バーンナックル」とは逆の拳で殴りつけ、当たるとその拳を相手に押し付けて発剄の技法で相手を吹き飛ばす。その際使う腕をもう片方の腕で押さえる、「気」の爆発エフェクトが入るという二つの演出が入る。『CAPCOM VS. SNK』では浮かせ技になっている。
ライジングフォース
『KOF2002』『NEOWAVE』のMAX2。「バスターウルフ」の様に突進し、「ハイアングルゲイザー」と同じショルダータックルと「ライジングタックル」に繋ぐ。ロックの潜在版「シャインナックル」と類似している。
ライジングビート
『SVC CHAOS』のEXCEED。ギースの「デッドリーレイブ」のような追加入力式の乱舞技。『MI2』では、別バージョンであるワイルドウルフが使用する。
パワーストリーム
『KOF2003』『KOFXI』のリーダー超必殺技。両手を組んで地面を殴り、自身を中心に巨大な「気」の柱を発生させる。『NBC』ではロックとのアナザーダブルアサルトの演出でのみ使用する。『MI2』『MIA』では、ワイルドウルフが使用。
ラウンドゲイザー(仮)
ゲームボーイ版ソフト『熱闘ザ・キング・オブ・ファイターズ'96』での隠し超必殺技で、この作品限定の技。テリーが地面に垂直に拳を打ちつけると、相手の足元から「パワーゲイザー」が十数発連続で発動する。

ゲーム以外での技
サニーパンチ
コミックボンボン連載の漫画版(細井雄二著、通称「ボンボン餓狼」)で使用された技。実態はただのパンチのようである。石川賢の『餓狼伝説 戦慄の魔王街』にも登場。また、テリーのクローン(クラウザー一派により作成)は『サニーナックル』というボディーブローを繰り出した。
鋼霊身
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。元はタン・フー・ルーの必殺技で自分の体を巨大化させる技だが、自分の体を鉄より硬くする技に変更されている。
波動旋風脚
アニメ『バトルファイターズ餓狼伝説』でテリーがタンから伝授された八極聖拳の奥義「旋風拳」をギースとの戦いの中で進化させた技。パワーゲイザーが登場するまでは、これが最強の技であった。
パワーエルボー
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。ホア・ジャイ(クラウザー一派によって蘇生)に羽交い絞めにされていた時に使用した肘打ち。
パワーウェーブアラウンド
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。「パワーウェイブ」同様に地面に拳を打ち、自分の周囲に広がるように気を発生させる。
バーンナックルハリケーン
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。「バーンナックル」とジョーの「ハリケーンアッパー」の合わせたもので、コークスクリューパンチを決める。キム(クローン)に対して使用。
パワーゲイザースペシャル
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。『餓狼SP』が発売されたことで、名前に「スペシャル」をつけただけの技。
スーパーバーンナックル
同じく「ボンボン餓狼」で使用された技。「バーンナックル」のパワーアップ版。戦車を破壊する程の威力を持つ。劇場版『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』でラオコーンを倒したのもこの技。
パワーゲイザー(アニメ)
『バトルファイターズ餓狼伝説2』では、ゲームとは異なりパワーウェイブのように地を這い、相手に向かっていった。劇場版『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』では、ジャミン戦やラオコーン戦で使用した際はゲーム版のような気の間欠泉がビルの屋上から垣間見えたが、ゴーダマスとの最終決戦では相手に向けて拳から直接放たれるなどした(バスターウルフの原型になったか否かは不明)。

他のメディアでのテリー
『餓狼伝説』のアニメ版である『バトルファイターズ 餓狼伝説』では、リリィ・マクガイヤー(ビリー・カーンの妹のリリィとは無関係)という女性と恋人関係になりかけたが、ギースによって殺されてしまう。

さらに劇場版の『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』ではスーリア・ゴーダマスという女性と恋人になったが、やはり死別している。

『バトルファイターズ 餓狼伝説』および『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』ではテリーの格闘スタイルが、原作のようにボクシング色が強いアメリカのプロ空手のそれではなく、伝統的な空手の動きが参考にされたように見受けられる。空手の「後屈立ち手刀受け」の構えから、腰に引き手をとる逆突きや下突きを多用していることからも伺える。

1997年にはオリックスイヤーブックの広告に登場したこともあり、その時はブルーウェーブのキャップを被っている。

またSNKプレイモアが開発・販売したパチスロにも登場している。2006年5月に導入が開始されたザ・キング・オブ・ファイターズ(パチスロ)では草薙京とバスケ対決をする演出に登場。さらに2006年12月に導入が開始された餓狼伝説(パチスロ)にアンディ、ジョーとともに登場。格闘要素が取り入れられたことで話題となった。そして第2弾である餓狼伝説スペシャル(パチスロ・2008年1月導入開始)にも、アンディ、ジョーとともに登場している。各キャラクターに対応しているステージが用意されており、サウスタウンもチャンスステージとして登場する。ART搭載機で3種類のビックボーナスが用意されており、ユーザー参加型のボーナスで成功すると上乗せも可能。さらに2009年1月に導入が開始されたマキシマムインパクト(パチスロ)にも登場。キャラクターをソワレ・メイラに選択した場合、バトル演出STAGE3の対戦相手となる。

iモード、EZweb、Yahoo!ケータイそれぞれのSNKプレイモアのサイトで配信されているノベルにも登場。『Stray Dog,Stray Wolf』と題されており、『RB』のエンディング後の後日談という設定である。生きがいを失ったビリーの苦悩、テリーの目標を失った後の葛藤、再び戦う意味を見出すまでの物語を綴っている。執筆は嬉野秋彦(全27話完結)。

オンラインゲームの大手企業・ガンホー・オンライン・エンターテイメントが提供しているガンホーゲームズではアンディ、舞、アリスとともにアバターとして設定することができた。(現在は終了している)ただし、設定できるのは男性と登録したユーザーのみである。(舞とアリスは女性のみ)

2009年01月21日

共和政府は、征服したオールド・イングリッシュ

共和政府は、征服したオールド・イングリッシュらの土地をイングランド人に分配しはじめた。これにはふたつの事情があった。ひとつには兵士に支払う給料を滞納しておりアイルランドの土地をかわりに付与する旨の証書を発行していたこと、いまひとつは商人たちからアイルランドの土地を担保に投資を受けていたことである。このふたつを弁済するため、ミア・アイリッシュのみならずオールド・イングリッシュまでも追い払われ、商人や兵士に分配されていった。生活苦に陥っていた兵士の証書は軍の士官たちに安く(額面の1/4〜1/5といわれる)買い集められ、士官がアイルランドの地主となるケースも多かった。

ヘンリー・クロムウェルの統治
クロムウェルが護国卿に就任したころ、総督府はバプテストが政権を主導していた。彼らは復讐心に燃え、カトリック信徒は民衆にいたるまで強制移住させるべきという主張がかまびすしくなってきていた。このころクロムウェルは保守化してきており、政権の安定のために過激な思想を抑え込もうとしていた。クロムウェルは息子のヘンリーをアイルランド軍最高司令官に任命し、かの地の安定化をはかった。現地に赴任したヘンリーはバプテストでも独立派でもなく、ニュー・イングリッシュによる統治を行い、蜂起以前の体制に徐々に戻していった。しかし、オールド・イングリッシュの勢力は著しく減退していた。

王政復古の影響
護国卿政が頓挫して王政復古が実現したが、ブレダ宣言にもとづきカトリックに返還された土地は多くはなかった。返還を訴えたカトリックの地主8000名のうち、返還が実現されたのは1000名に満たなかった。こうして、ゲール人のみならずカトリックも力を失い、イングランドによる植民地化が決定的となった。

清教徒革命の影響
王政復古は前体制にもどすことを目指したが、革命以前の状況になることはなかった。特に国王大権と国教会の融合による支配体制は求心力を失い、より安定した国家システムが模索されつつあった。なお、かつては前時代との断絶が強調されたが、現在は社会・経済構造など革命前のありようと変わらなかった点も多かったことが明らかにされている。

経験論
革命の失敗はピューリタニズムなど神秘主義的思想・セクト信仰の敗北を意味し、かわって経験論や政治算術など合理的思考の時代となった。これはのちに啓蒙思想や古典派経済学につながってゆくことになった。しかし分離主義・独立派などを信奉する人々が消えたわけではなく、細々とではあるが命脈を保ちつづけた。

絶対王政の終焉
後期ステュアート朝は国王至上法にもとづく絶対王政への回帰をめざした。しかし収入を議会による税に頼り、国王が直接裁く星室庁裁判所が廃止され、翼をもがれた状態にあった。実際の国政は議会が大きな影響力を持ち、回帰への志向と実情の落差は次第に溝を深めてゆくことになった。この落差は、のちに名誉革命として表面化するにいたる。

文民統制の確立
軍隊、特に陸軍が革命において決定的役割をはたし、それによって一個の利益集団として権勢を振るった。これによって多数の勢力が弾圧・粛清され、陸軍の地位低下とともに、軍は政治権力を持つべきでないとする思想がひろく共有された。以降、軍人は下院に若干の議席を確保しつづけたが、それは主に軍人の待遇改善をもとめたり、軍隊内での出世のための手段として議員になったりというケースにとどまった。陸軍の地位低下は、海軍の地位上昇にもつながり、以降予算は優先的に海軍に回されるようになった。

財政軍事国家への出発
ランプ議会によって制定された航海条例はひきつがれ、王の勅許を得て正式に航海法となり、商業の振興に力を入れた。これには内戦による国家財政の困窮で消費税などの税収を上げたいという政府側の思惑もあったが、革命以前から活発になっていた新興産業と結びつき、商工業の発展に大きく寄与した。財政面では大蔵省の組織改革と効率化が進み、各種税金を効率的かつ迅速に国庫に納める仕組みが徐々につくられていった。財政軍事国家とよばれるこうした経済・財政政策とその体制が、名誉革命以降の対フランス戦争(第二次百年戦争ともよばれる)を有利に戦う下地を作った。

革命の歴史的評価
清教徒革命はさまざまに評価されてきた。原因や歴史的位置づけについて、自由主義やマルクス主義など、その時代の風潮によって異なる視点から捉えられてきた。また、同一時代にあっても識者の立場によっても違う見方をされている。革命直後からしばらくは歴史上の不祥事として描かれることが多かったが、次第に絶対王政から近代化への第一歩と評価されるようになった。20世紀に入ると、歴史研究者それぞれのイデオロギー・学派から活発な論戦が行われることもしばしば見られた。

ロックの革命権
ジョン・ロックは財産・自由の保全のために革命権の行使を肯定したが、清教徒革命については「無益な企て」と断じている。革命権の行使が許されるのは勤勉で理性的な人であり、貪欲な暴徒ではないとした。教養を重んじ賃労働を軽視するジェントリたちにとって、清教徒革命は「暴徒」に国政を牛耳られた不名誉な事件であり、名誉革命がその汚名をそそぐものであった。その原因は無知で横暴なスコットランド人の王チャールズに帰すると考えられていた。結果、王権の大幅な制限と民衆の非政治化はジェントリたちの大きな関心事となった。

ホイッグ史観・唯物史観による評価
自由主義経済のもと世界帝国を築いていたころのイギリスでは、清教徒革命は「イングランドの騒乱」「ピューリタン革命」「イングランド革命」とよばれた。専制・封建制に対する自由・資本主義の闘いとして描写され、近代社会の画期とされた。さらにピューリタニズムに民主主義の精神を見出し、同時代のフランスなどと比較してその先進性が主張された。

19世紀に入ってチャーティスト運動の盛り上がりなどの社会現象もあいまってマルクス主義史観が広まると、清教徒革命はブルジョワ革命に分類された。マルクス主義史学は史家クリストファー・ヒルやリチャード・ヘンリ・トーニーらによって支持され一定の勢力を持ち、正統学説に対するアンチテーゼとして存在感を示し続けた。 この理論は日本にも取り入れられ、大塚史学としてイギリス史研究の本道となった。
レイアグト シアー リトル インジゴ マテハン トリプシン 万木かぶ ストロボ あんず ミング ローカル シャボン アーチ トミート スケー りゅう バーバー テンニン 対策いな パスタ 世界の橋 トレッ パレット レセル イスト トワイライ スター マカロ フォト はつとら ローン ザコン こくちょ ミシシ ミート ブーイ ディティ メルヘ ダウンタ バイフォー ゼット 発酵SEO フェムトセル 夕焼けの丘 サンテ ドリア ノーサイド タギング オミット オプシン

ジェントリ論争と地方史研究
この正統学説は1950年代に入ってH.トレヴァ=ローパーによって批判され、苛烈な論戦がたたかわされた。トレヴァ=ローパーによれば、この内戦は宮廷の官職を独占する大ジェントリたちに対する、中小ジェントリの挑戦であり、ピューリタニズムは華美にふける大ジェントリたちへの嫌悪感にもとづく貧困なジェントリの宗教とされる。これをトレヴァ=ローパーはコート対カントリという対立概念を用いて説明した。これに対してトーニーは、ジェントリの規模ではなく土地経営のしかたを重視した。すなわち、伝統的に地代を徴収する方法にとどまったジェントリは没落し、いっぽう地代のつり上げや牧羊業への柔軟な転換などブルジョワ的経営を行ったジェントリが勃興したとするものである。

こうした論戦は、根拠となる情報が少ないうえに議論が大局的にならざるをえず、不毛な議論となって尻すぼみになり、これをみた若い研究者らは情報が出し尽くされていない地方史研究をこころざすようになった。いずれにしてもこの時代まで、革命は社会矛盾の顕在化によって必然におこったものであるという考え方が前提にあった。

「17世紀の危機」
かつての歴史研究において、革命の原因であると主張され論争がたたかわされた「17世紀の危機」は、現在ではあまり顧みられなくなっている。「17世紀の危機」論争はトレヴァ=ローパーとホブズボームによるもので、ヨーロッパ全般の危機として論じられた。この危機とは、以下のような社会の変化に旧来の国家が対応できず、社会が不安定になったとするものである。すなわち社会の変化とは、16世紀は好況だったヨーロッパ経済が天候不順などによって停滞し、これによって農村のありかたが封建的から資本制に変貌しつつあり、さらにルネサンス以降、膨張しつつあった官僚制を王室財政で賄いきれなくなってきていた、というものである。しかし現在は、17世紀は経済不況からオランダの重商主義経済にいたる過渡期であったとされている。

修正主義以降
1970年代に入ると、正統学説にふたたび反論がおこるようになった。修正主義とよばれるこの流れは、革命の断絶性・近代社会化の側面および必然性を批判し、さらにイングランド内で完結されていた議論をおし拡げようとするものであった。修正主義は、革命の源泉をジェームズ1世の第1子ヘンリが若くして死んだことなどに求め、ヘンリが王位を継承すれば革命は起こらなかったであろうと指摘する。こうした修正主義によって明らかにされた研究成果は多岐にわたったが、なかでもイングランド一国史観に対して包括的なブリテン史を提唱した点は耳目を集めた。80年代には修正主義と正統学説の間で論争もおこっている。修正主義の流れは長期的な視点にとぼしく、革命の原因を偶発的要素にもとめすぎているなどの批判がある。現在、修正主義を批判的に継承したポスト修正主義やネオ=ホイッグなどの流れが複雑に交錯しているが、名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とよばれ、名誉革命以上に歴史的意義を見出されることが多い。一方で、イングランド革命政府とスコットランド・アイルランドの3ヶ国の戦争であるという捉え方も提唱されている。

2009年01月14日

穆天子伝(ぼくてんしでん)

穆天子伝(ぼくてんしでん)は、周の穆王の伝記を中心とした全6巻からなる歴史書。周王遊行とも呼ばれる。穆王在位55年間の南征北戦(外征)について詳しい。その記録は穆王13-17年、崑崙山への9万里の西征で西王母と会い、帰還後は盛姫という美人に対する情愛についての記録で終わっている。『左伝』の歴史記述様式と違って、穆王を中心とした描写風の随筆になっている。

穆天子伝は西晋時、魏 (戦国)の襄王の墓が汲郡の盗賊により盗掘された時に竹簡として発見された。この竹簡は『汲冢書』75篇として整理され、穆天子伝は5巻に纏められた(後、1巻が追加された)。

後世の評価
現代に伝わっている穆天子伝は作年・作者不詳で、記述には謎が多く一部で奇書とされている。

『穆天子伝』の存在は『隋書』經籍誌に「『穆天子傳』六卷『汲塚書』。郭璞注」と記載されており、さらに隋書の起居注で、晋の時代に発見された旨が説明されている[1]。

16世紀、明で活躍した胡應麟 (zh:胡應麟) は自著『三墳補逸』の中で「歴史というよりも、むしろ小説の元祖だ(小説濫觴)」と述べている。清代になって、檀萃 (zh:檀萃) が『穆天子傳註疏』、丁謙が『穆天子傳地理考證』、顧實が『穆天子傳西征講疏』など注釈書、研究書を書いている。

1994年、王貽樑、陳建敏が『穆天子傳匯校集釋』を書いている。2003年、歴史家の楊? (zh:楊?) は「穆天子伝は中国西部の河宗氏が、周辺の少数民族の伝承を集めたものが元であり、後に魏国史官が整理したものである。内容は史実と伝説が混在している。そのため、西周時代の青銅器金文の研究において、一定の価値を持っている」と述べている
金文(きんぶん)とは青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと(「金」はこの場合青銅の意味)。中国の殷・周のものが有名。年代的には甲骨文字の後にあたる。

殷は青銅器文化が非常に発達した時代であり、この文字を器の表面に鋳込む技術は門外不出となっていた。

金文は『史記』のような後世になって書かれた資料とは違い、完全な同時代資料であるためこの時代を研究する上で非常に貴重な資料となっている。しかし殷代の青銅器は古美術としてもきわめて高い価値があるため収集家などがこれを所持することで一貫した研究が出来ないと言うことも起きている。

なお石などに刻まれた文章は石文と呼ばれ、一緒にして金石文と呼ばれる。またこれらを研究することを金石学という。

時代的に1.殷金文(B.C.1300頃?B.C.1070頃)、2.西周金文(B.C.1070頃?B.C.771年)、3.東周(または列国)金文(B.C.770年?B.C.222年)、4.秦漢金文(B.C.221年?A.D.219年)に分類される場合が多い。

殷金文(B.C.1300頃?B.C.1070頃)
青銅器の製造は、殷の成立以前の二里頭期より始まっているが、当初は金文を鋳込まなかった。19代盤庚が亳に遷都したとされる安陽期から、青銅器に金文が見られるようになった。

初期は「図象記号」「図象文字」「族記号」と呼ばれるマークのようなもので、西周期まで1200種ほど確認される。初期は記号のみ鋳込まれ、やがて文章の末尾に鋳込まれるようになった。文字として読み下すことが困難で、果たして何を表すものなのか解明されていない。

殷末期の帝乙・帝辛の時代には、急激に40字程度の文章を伴う「成文銘」が発達する。それ以前の成文は「祖○」「父○」など、青銅器を祭る対象者の名が鋳込まれた。やがてこれに、青銅器の財源となった資金を入手した経緯(戦功を挙げて王より褒美を頂いた…など)や「以後子々孫々に至るまで家宝とせよ」などの長文が加えられることが流行した。まだ文字の大きさをそろえて書く発想には達せず、画数の多い文字が隣の行に張り出していたり、文字の長さが一定していないなど、文字がいびつに並んでいる。また、線の太さは不統一で、鉞の象形文字である「王」の刃や頭上の指示文字である「天」の頂が塗り潰されているなど、絵画的要素が色濃く残る。

西周金文(B.C.1070頃?B.C.771年)
殷を滅ぼした周は、殷の文化技術を流用しつつも、さらに王と諸侯の関係をギブ・アンド・テイクによって結び付けようと試み、それが青銅器に鋳込まれる金文に如実に反映されている。帝乙・帝辛と諸侯の間に見られた「諸侯の成果を王が認め、褒美を与えたことによって、家宝の青銅器を作ることができた」という事実についての著述がさらに具体性を持ち始める。中には、諸侯同士の領地争いを王の仲介によって解決に導き、これを永遠に語り次ぐ証として金文入りの青銅器で明らかにするという側面も持ち合わせた。金文の成文は、これら王からの褒賞や領地範囲の明文化を通して、王の仲介があったことを物語るものとなっている。殷の鋳造技術を引き継いだ当初の金文では、成文の書式や末尾の「図象記号」がそのまま流用され、工房の継続が見て取れる。一方で、文字を整える意識はさらに洗練され、描画的だった肉厚の点画も均一の太さを持つ線で書かれるようになり、文字の大きささも画数に関係なく一定の面積に収まるように、「大克鼎」や「馬公鼎」の銘のように、文字を枠線の中に収めるよう配慮された下準備を終えて製作されるようにもなっている。文章の長文化は、目下「毛公鼎」32行500字を最大とするところまで発達した。これは殷の金文・青銅器が素朴な祖先への祭祀道具にとどまっていたことに対し、周金文が土地争いの解決案や以後の政治方針を神前で表明するための宣誓記念物へと内容を大きく変えたことに起因するものといえると同時に、周の弱体化にともない、青銅器鋳造技術者が周王朝の工房を離れ、諸侯お抱えの技術者となって中国各地に散り散りになっていく前段階に達したことも表明するものである。

東周(または列国)金文(B.C.770年?B.C.222年)
周の東遷から始皇帝の統一まで、群雄割拠の春秋・戦国時代となり、儒教や道教に代表される多種多様な倫理観が生まれ、鉄器の実用化に代表される工業技術の発展が見られた。戦乱の時代となったため、多数の銅剣・銅鉾など武器が鋳造されるようになるが、一方で祭祀用の青銅器も続けて鋳造されていくが、鐘などの楽器が急激に発達してくる。金文の変化としては、配下の将軍たちに対する戦功を記録する成文に変化してきたこと、国ごとに字義や字形が多用に変化してきたことが挙げられる。さらに、従来は不可能だった銘文の掘り込みが鉄器の開発によって可能となったことが挙げられる。これまで器の内側に鋳込まれていた金文が、外側に刻まれることが可能となった。この技法の変化により、楚金文のように筆記体にほぼ等しい銘が生まれたり、陳や中山で流行した「虫鳥体」と呼ばれる装飾性の高い細身の銘が生まれたりしている。また、鋳込みより簡単に銘が刻めることもあって、鐘に音階を刻んだものも出現してくる。従来の祭祀用青銅器は、故事成語「鼎の軽重を問う」にあるように、王侯の伝統や権威を象徴するものとして諸国で継承され、簒奪の対象ともなっている。周の工房では見られなかったガラス象嵌などの新たな装飾法も試みられており、鉄器の製造技術が高まるにつれ、青銅器は希少価値が高まっていき、祭祀用青銅器は最盛期を迎える。

秦漢金文(B.C.221年?A.D.219年)
始皇帝の統一をもって列国の争乱は終わり、多種多様に発展した事柄を統合し規格化する段階になった。始皇帝は焚書坑儒を通して文字・言語の統一を図り、列国の多様な文字文化を廃止した。統一規格の文字を広めることも兼ねて、自らの武威を示すために泰山をはじめ各地に刻石碑を建立している。鉄器の質的向上により、これまで不可能だった石文の建立が可能になったことにより、秦以後の重要な文字資料は青銅器から石碑に移行していく。秦および漢では、青銅器はもっと身近なものに用いられた。始皇帝は度量衡の統一を図るため、統一規格となる分銅や升を大量に鋳造させた。分銅は「権」、升は「量」と呼ぶため、合わせて「権量銘」と呼びならわされている。始皇帝が着手した貨幣統一の流れを漢も継承し、始皇帝が鋳造を命じた「半両銭」の鋳造は漢も続行した。武帝による「五銖銭」鋳造と私鋳銭排斥によって、秦漢の貨幣制度が軌道に乗り、それに鋳込まれた銘が、数少ない漢時代の金文の代表例となった。漢になると、主要な青銅器は鏡や剣に移行した。日本考古学において重要視される銅鏡がそれである。文字の面白みは少なくなる一方、漢と周辺諸国の朝貢貿易を物語る文字資料としての重要性が高い。

金文銘鋳造技法の仮説
殷周金文は青銅器の内側に鋳込まれているが、どのようにして鋳型に銘を刻むのかは明確になっていない。 青銅器の鋳造法そのものは、工房の発掘によって大量の鋳型が発見されたことから

粘土で原寸大の模型を作る
模型に粘土を被せて切り分け、これを外枠とする
模型を削り、内枠とする
内枠に銘を入れる
枠を組み立て、外枠と内枠の隙間に銅の破片をいくつか挟ませる
溶かした銅を流し込む
冷えたら枠を割り、青銅器を取り出す
というプロセスは判明している。

しかし、内枠に銘を入れる工程は明らかになっていない。鋳込まれた銘は字画が窪んでおり、内枠に入れた段階では字画部分は盛り上がっている。この粘土を盛り上げる技法について、さまざまな仮説が立てられている。

泥状に溶いた粘土を塗り重ね、時間と手間をかけて盛り上げる
これは清の金石学の権威、阮元の仮説だが、この仮説を実証した実験はない。
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薄い粘土を内枠に貼り付け、余分な部分を削り取る
これも民国以前に立った仮説だが、実際の器には欠き取り作業中に必ずできる刀傷がない

これに対して、国共内戦後に立てられた仮説では

木片やなめし革に銘を刻み、この窪みに粘土を詰めたうえで内枠に転写する
方法が提唱され、実験の結果、銘を再現することに成功している。ただしこれに対しても、物的証拠がないことから仮説の域を出ない。

また、木片やなめし革などのテンプレートを流用して、器の銘と蓋の銘を同時に作ることができるにもかかわらず、器と蓋の銘が完全に一致する青銅器は一つも発見されておらず、器の銘と蓋の銘が別々に作られていることから、その仮説を否定する意見もある。